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活動報告と、界隈の歴史簡易考察など。

こんばんは。

実に一年ぶりくらいの更新になる訳だが、別に行方不明になっていたとかそういう訳ではないのはツイッターを見て頂ければ自明の理であろう。

さて、今回は今までの報告と、後はちょっと考察とか。

まず今までの報告だが、先日pixivの方に「アルミラちゃん堕天シリーズ」を二作品上げたのが記憶に新しいことだろう。
というか、今の今まで殆ど創作自体やっておらず更新ネタに乏しかったので更新していなかった、ということでもあるのだが、ともかくUPしてみた。
アルミラちゃんとは神撃のバハムートやシャドウバースでおなじみ「ムーンアルミラージ」ちゃんのことである。
可憐なる淑女にして裏切りの過去を持つ彼女が、如何にして裏切り、如何にして今に至ったのか……ということを、個人解釈したというかたちである。
一作品目は「得体のしれない何か」、二作品目は「自分の半分くらいの年齢の兄妹」がそれぞれ攻め手である。

私個人としてはやはり二作品目の方が燃えるシチュエーションでこそあるのだが、実のところ二作品目の執筆中に創作意欲が再びかなりの低迷を見せ、このままではまた半年近く氷漬けになってしまう……!ということを懸念したがゆえに、かなり「焦った」投稿をしてしまった。
その為、一部やり残した感じは否めないし、何れリメイクするかもしれない。

ちなみに当初、途中にこんなシーンが入る予定だった。(要するにボツネタ)

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「あ、動かないでね。怪我しちゃうから」

今に限らず、出会ってから何かと口数の多い少年に気を取られ、思わずこの時失念していた少女の存在。
それは足元から聞こえてきた。

「!!? ちょ、ちょっと!? 何をしているの!?」
「待っててね……はいほら、これでお股の周り汚れないよ」
「な、な……」

少女の右手には、鋏が一つ。
左手には、アルミラージのホットパンツ「だった」布と、パンツ「だった」布がそれぞれ握られている。
腰の側面から太ももにかけて器用に一直線に切ったらしく、それは綺麗に二枚の布と化していた。

少女のこの行動は、一見してアルミラージを気遣ってのことかのように思われなくもない。
しかし、忘れてはならない。これは「アルミラージが目の前で思い切り失禁することを前提とした行動」である!
本当に思いやるのならば、そもそもその鋏はアルミラージの下半身の衣類ではなくアルミラージを拘束している蔦に向かっていた筈であるのだから。

「すごい、これが大人の女の人の……ちゃんと見たの初めて。ヘンなの~」
「お母さんのより毛は少ないねー」
「でも僕よりは多いね」
「そもそも生えてないじゃん」
「そうだった」

各々抱いた感想を好き勝手に口にする少年と少女。

「あれ? ちょっと濡れてる。もうおもらししちゃったの?」
「してないわよ……っ!」
「……それにしても……不思議な匂いだね。おもらしって訳ではないのかー」
「ちょ、ちょっと、嗅がないで!」
「うーん……何の匂いなんだろ」

少年の鼻息が己の女性器に直に当たる。くすぐったい様な、性的快感未満の奇妙な感覚に襲われる。

「ひぁ」

……そのほんの僅かな刺激が、アルミラージの「運命」を、たった一本へと収束させた!
尤も少年少女の意志を考えれば、既に収束していたも同然ではあっただろうが。

「……もしかして、もう出そう? なんだか、ひくひくしてる」
「うっ、煩いっ!」

----

……これは、お漏らしに直結するくすぐりの直前に挿入されていたシーンである。
このシーン自体は、「アルミラージの半分くらいの年齢の少年少女」によって「鋏」で「パンツをホットパンツ越しに切り落とす」という行為の難易度の高さ及び発想の不自然性から除外した。
しかし思えば、「形を変えて」このようなシーンを導入すべきであっただろう。別にパンツを切り落とさなくても、ホットパンツ越しから裾の中の匂いを嗅いだり(ホットパンツ越しなので性器はすぐそこである)、抵抗できないのをいいことに手を差し込んでみたりして陰毛、尿道、陰核、小陰唇、膣口、そしてそれらを潤す愛液の存在及び感触を確かめる、ホットパンツ越しに陰核や尿道口を刺激する……このくらいのシーンがあったとして、何ら問題なかったはずである。
無論これは所謂「エロ・シーン」であり「くすぐりSS」としてその存在の賛否が問われ得るものではあるが、個人的見解としてこれは「後のくすぐりシーンの為の前座」として存在している、いわばちょっとしたスパイスのようなものであることは特筆しておきたい。
また、二作目においてはこうしたシーンがあることで「アルミラージを「片足のみを上げた」一見して奇妙な体勢で拘束すること」の幾つかの目標のうち一つが達成される。であれば、それを削除してしまったとなるとこの拘束をやる意義は減少してしまうのである。
その目標とはほかにも「子供たちの前で尿を漏らし、それが尿道口から出てくる瞬間を目撃される」「開脚された状態でくすぐられる」「性器を直に擽られる」といった、「この拘束方法だからこそ可能なシーン」を入れることである。
しかしそうしたシーンのうち幾つかを入れていないまま、ただ自分の危機感に従って投稿してしまったという訳である。
そもそもなぜそうした目標を抱くに至ったかといえば、この拘束描写はTLを見ていればわかる通り先人が居り「おしおきレオタード」という非常に良質なショタおね作品の拘束方法を特にリスペクトしたものである。
であれば当然、リスペクトしたに相応しい完成度及び幾つかの目標を以ってして、危機感に扇動されず世に発信するべきであった……と、今では深く後悔している。

これ程自分で「駄作」ということが分かっているならば、一度削除し、改めて投稿すべきではないか――そうも考えたが、これは自分自身への戒めとして、敢えて「そのまま」にしておこうと考えている。
何時かリメイクはする予定だが、リメイク後も削除する予定はない。

一方、一作品目に関してはシチュエーション自体は本業というほどではない。
ただし、創作意欲が沸いてすぐに執筆に入ったからか熱は二作品目より明らかに上だ。したがって個人的にもクオリティは一作品目の方が上であろうと考えている。
しかしこちらも、肝心の「くすぐり方の具体性」にイマイチ欠ける面があったことが今となってのただひとつ反省点である。
例えば指々によって「どういうやり方で」「どのような」くすぐったさを与えられたのだろうか?

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「嫌ぁあはははははははははははっ!!! 腋の下だめっひははははははははっ!!」

指々は、アルミラージの汗ばんだ腋を容赦なく蝕んだ。

「あぁっはっはっはっは!!!!!! ほんとにっひゃははははっもうだめっ、あはははははははっ!!!!」

彼女の腋を一つのカルデラとして例えるならば……
ある一本は外側の緩やかな部分を円心状に滑り抜けていく。これは、彼女にむずがゆさを含んだ擽ったさを与えた。
ある一本はその凹みを更に深めんとばかりに指圧する。これは、彼女にやや痛みを含んだ擽ったさを与えた。
ある一本は、特に目的もなく手当たり次第に突いてくる。これは、彼女に上二つの責めをブレンドしたような擽ったさを与えた。

これらの指々はけして衝突することもなければ、その責めの質はこのようにそれぞれ微妙に異なるものであった。
つまり、指の数だけそれぞれ質の異なった擽ったさをアルミラージは味わっているのである!

……尤も、彼女の中にそれぞれのくすぐったさの質を見分ける余裕など当然ある訳もなく。
強いて質の数の影響を挙げるとすれば、それが多ければ多いほど彼女の感じている擽ったさが増大する、といった、自明な事実であろう。

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……といった具合だろうか。

ともかく、「どういった責めなのか」という明確な描写がやや少なくなってしまっていた……という感触がある。
とはいえこちらはある程度日を空けて煮詰めて、なおこうした改善点が見られた……ということなので、投稿したその日時点における後悔は殆どなかった。
そういった点ではやはり、第二作品目より優れた作品となったのではないだろうか。

余談だが、第一作目でアルミラちゃんをくすぐっていたものの正体は「不定形スライム」の様なものと解釈していただいて構わない。
マグナボタニストが実験中に生み出した生命体の一つで、音波をエネルギーにして生活しているので基本的に餓死という概念が存在しない。
それなりの知力も有しており、生物を見かけると捕獲して様々な部位を刺激することで声を発させて音波という餌を効率的に入手することが出来る。




次に、考察。

何を考察するのかというと、昨今で爆発的に私を含めた創作者が増加している……という現象である。

といっても時系列を追っていけば然程不思議ではない。
まず、1990年代にインターネットが凡そ普及した。
この時こそまさに「くすぐり」というジャンルがインターネット上に出回りだした黎明期とも言える時代である。

ところが、この時代から2000年代前半まではインターネットは今よりもアンダーグラウンドなコンテンツであるという認識が世間一般では強く、したがってそう多くの創作者も存在していなかった。
無論、名前は挙げないがそのころからの創作者は知っている。だが、明確にコンテンツが少なかったのも自明というものであろう。

しかし時代が変わるのは2005~2006年以降である。恐らくは「電車男」等が発端となり、また「シフトアップネット」や「スーパー正男」といった黎明期フラッシュなどもこのころに登場したとあり、インターネットというコンテンツが徐々にではあるがメジャーなものとして世間一般にも浸透し始めたであろう時期である。
2007~2008年ともなると「youtube」「ニコニコ動画」がその頭角をめきめきと現し始め、それによってそれまでも話題でありながらややなりをひそめていた深夜アニメなども一気に知れ渡ることとなる。
この時代においてまず「第二次世代」と呼べる創作者もまた誕生していた、あるいは元々鳴りを潜めていても名を広めたと考えられるだろう。
しかし、この時はまだまだ過渡期と呼べる時期であり、コンテンツの増大にも今しばらくの時間を要することになる。
その時間経過の結果こそが、「2010年台初頭前後」である。事実、この時(2009~2012)に姿を表した創作者の多くは明らかに一線を画すような画力、あるいは表現力を有しており、名前は伏せるがこの界隈でも著名な方が多い。

そして……今。こうした作品を十代前半の多感な時期から両親や友人の目を掻い潜り浴び続け、ここ二、三年で大学生、及び社会人になったことで自分でもやってみよう! という、新たな意志を持った人々が現れ始めたのがまさに今、という訳である。
潜在的に、この人口は多いだろう。というのもこの世代は2009~2012あたりに登場した創作者が特に活発に活動していた時期を「直接」経験しているのである。であればその層に対する羨望の意識も明らかに大きいはずであり、したがって母数もその分多いはずだからである。

では、今後の創作界隈はどうなっていくか?

それは正に、私達の世代にかかっているといえるだろう。

2009~2012の黄金時代を駆け抜けた彼・彼女のような羨望の対象、そうでなくともきっかけを与えるような存在になり、今以上に創作者を増やすことが出来るか。
はたまた失望の対象となり、先細りのきっかけを与えてしまうか……

勿論2009~2012という黄金時代のログは広いインターネットに残っているので今しばらくこの限りではないが、それも永遠とは限らない。
fc2サービスやpixiv、その他さまざまなホームページサービスが閉鎖されてしまえば、次々にそうしたログは消えていくことだろう。
であれば当然、今が良質であるに越したことはない。

(ややずれはあるが)ほぼ同時期に黄金時代を迎えた前例の一つとして「ボーカロイド」というコンテンツがあるが、残念ながらこちらは客観的に後者を迎えつつある。

一方……創作界隈ではついにくすぐりオンリーのイベントとして「くすぐりみっと」が開催されるに至っている。ボーカロイドオンリーのイベントはかなりの黎明期から存在していただろうから、時の流れとしては少なくともボーカロイドより「ゆったり」であることに違いはない。
つまり、ボーカロイドと比較すれば充分に時間的チャンスはあるとみて間違いない。時間的にはまだまだこれからのコンテンツなのだから。

一方で、こうした事実に一切の重荷を感じる必要はないとも私は考える。
何故ならそうして私たちの世代が重荷を感じたまま創作を続け、それがのちの世代にとって羨望の対象たりえたとしても、
その世代の人々に私たちの世代と同じ重荷を感じたまま創作を続ける時間的・金銭的・その他生活的余裕があるとは必ずしも保証出来るものではないからである。何より、それを私個人が誰かに強いるような考えをするというのは極めておこがましい行為である。
あくまでも当人の自然体で、無理のない範囲で。しかし、着実に各人のフェチズム・エロスは極めていく……そんな姿勢であればいいと私は考えている。

長々と考察に加え私見も述べてしまったが、要するに何が言いたいかというとモルジアナちゃんは可愛い。


うぱー!

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