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「大人の対応」とはなんだろう?

こんばんは。

今日は特に性癖は関係ないけど、まぁ、ブログだしそういう記事があってもいいよね。
というか去年の今頃もシンゴジラの記事書いてるし。

さて今回はタイトルの通り。

どうしてこんなことを書こうかと思ったのかというと、ある方のツイートがキッカケである。
端的に言えば、「一方的に攻撃されたことによる対人トラブルをどう解決すべきか」というものだ。

無論、このような考え方に対する思い自体は私は常々持っていた。早い話が、「やられたらやり返せ」ということだ。
しかしこれは条件付きでもある。「納得してるならやり返さなくてもいい、行動しなくていい」という、簡単な条件付きだ。
したがって、私が言いたいことをより厳密に言えば「何かをやられたら、納得してなきゃやり返せ、または行動しろ」ということでもある。

どういうことか?

例えば、知り合いのAさんに「馬鹿野郎!」と暴言を吐かれたとしよう。

ここで、この言葉に納得がいかなければ「悪意を込めた」暴言を返せばいい。

一方で、背景的な事情……例えば自分が何らかのミスを犯してしまったとか、ジョークの一環としてノリで流せてしまえるようなモノにすぎないと感じられたとか、そういう場合は言い返さないか、暴言自体は返すとしても、あくまでジョークの一環として、悪意のない「馬鹿野郎」を返してやればいい。
実際、経験はないだろうか?許せる「馬鹿野郎」と、許せない「馬鹿野郎」。言葉でその違いの説明は難しけれど、考えてみればなんとなく「許せる」以上はその「馬鹿野郎」に納得が行っている訳だし、「許せない」以上はその「馬鹿野郎」に納得が行っていない訳だ。

これは「馬鹿野郎」に限ったことではない。恐らくは、全てのトラブルに当てはまる。

そして、トラブルはトラブルである以上、人はいずれ「そのトラブルをどう解決するか?」という問題に直面する。
それが解決可能かどうかであるかはさておき、人はそのトラブルが解決できるまで、そのトラブルを解決するために脳を動かし、悩み続けることになる。
解決の形は様々だが、どのような結論であれ本人が心から納得してさえいればそれは立派な「解決」ということが出来るだろう。

逆に言えば、本人が納得しなければそれは真の解決ではないのだ。

そしてここで、タイトルに戻るのである。「大人の対応」とはなんなのだろうか、と。

まず俗にいう「大人の対応」とは、本来ならば許されないような粗相であってもその人の器量で見逃し、許してやるという行為を指す。
最近で言えば、ミヤネ屋に対する高須院長の対応がある程度それに該当するかもしれない。
これは当人のトラブルに対する納得があって初めて成立するし、その納得も当人の強さがなくては出来ない。勇気がなくては出来ない。
そんな行為であり、それは讃えられるべきことであることに違いはない。


ところがこの言葉の使われる場面の実態は異なるように私は思う。


そう、当人は納得出来ていないにもかかわらず、周りの評価、地位、その他もろもろ、その当人を巡る環境が当人に納得を許さず、しかし、表面上納得「したことに」させているのだ。

嫌なことをされた。でも事を荒立てたくはない、だから「大人の対応」で黙殺し、見逃してやる。

これは、皮肉的な意味は除外した上での本当の意味での「大人の対応」といえるのだろうか? ただの「逃げ」ではないか?
何かとウダウダグチグチ言い訳をし、肝心かなめである問題の解決は一切できていない。これのどこに「大人」といえる要素があるのか?

無論、「逃げること」自体は立派な「選択肢」だろう。あらゆる面から判断した結果「逃げ」に至ること自体はけして非難されることではない。
その結果として問題が解決されるならばそれは最早「立派な選択肢」だ。ちまたで話題の「違法企業」「イジメ」から逃げ出すことはまさにその一例だろう。そうした選択肢を取ることで「問題を解決する」のもまた「大人」の対応といえるように思う。

だが、「問題が解決されないまま、問題に殴られながらただ逃げ続けること」という選択肢は、「選択肢」でこそあるかもしれないが、「立派な選択肢」ではないことは明らかである。

しかし、どうも世の中にはこうした「間違った」大人の対応がただ「正しい」だけでなく「崇高」なものとして持て囃される風潮にあるように思える。
そして私は声を大にしていいたい。そうした紹介はまったく間違っている、と。

これの何が崇高なものか。

自分の中で納得が行ったわけでもなくただ殴られ続けることを黙殺した、否、黙認し続けているだけの話が、何故崇高なのか。

自らの外敵に毅然とした態度で立ち向かうこと。

これこそ本当に勇気がいることではないのか。
そして、強さがいることではないのか。

規模の大小や方法は問わず、それ自体がすべからく美談として取り扱われるべきことではないのか。

そしてその暁に「トラブル解決」という「結果」を出せる人の方が、一切の結果を出さない人よりよほど「大人」ではないのか。

一部の「大人の対応」とは、現状において結局加害者を守るだけの詭弁に過ぎないではないのか。


と。


勿論、心から納得しているのならばいい。「コイツには何をされてもどうでもいい」と思うのならば、別に何もしなくてもいいと思う。それは冒頭でも述べたとおりだ。
それに、そうした「大人の対応」が望ましい場面だって当然ある。例えば何かの分野で、その分野の初心者がミスをしたとする。それに関しては、管理できる範囲ならばイチイチ目くじらを立てずにいるべきかもしれない。そうすることでその初心者はミスを恐れずに積極的な挑戦を行えるようになるし、それはやがて後に結果として返ってくるかもしれないのだから――そんなケースは山のようにある。

だがそれは、「逃げ」ではない。「包容した」のだ。真の意味で「大人の対応」をしたのだ。
一方、「口では色々言いながら実際には何もせずただ黙殺するだけ」なんてのは、解決でも何でもない。

こうした現象はTwitterでは本当によく見かけるし、かつてはよく閲覧していたまとめブログ群にもしょっちゅう見受けられた。
「こんなことがあったんですぅ~拡散希望!!」という、被害は受けながらも一切の解決報告がないツイートやスレッドに対して、
「こんなことがあったのでこうしたら解決出来ました!」という、「問題発生」から「解決」に至るまでの過程までがあるツイートやスレッドの比率は10:1程度にすら感じられる。勿論、解決して満足したので書かなくなったというケースもそれなりにはあるのだろう。だが当然、未解決の方もかなりの割合を占めているだろう。
そしてそれらは読んでいるとはっきり言って非常にウザったかった。
読んでいてただ不快になるだけ。世の中に対して「こんなやつもいるのかよ……最悪」と絶望が深まるだけ。イラッとジャパンだ。
私はこうした記事にいい加減辟易とし、それまで日常であったまとめブログの閲覧をほぼしなくなった。オワタあんてなから各ブログに飛んでいたので断つのは簡単だった。オワタあんてなをブックマークから外すだけで解決した。

しかしこれ、報告者にして被害者である彼らもまた、別の意味でも被害者だろう。

Twitterや2chに書き込まれるということは、投稿者は当然ネットで有名なネタを知っている可能性も高い。
したがって考えられる一つの要因として「争いは同レベルのものでしか起こらない!」というあの漫画の一コマが確実に影響していると思う。
あの一コマはネタとして割り切る人間しかいないならよいが、本気で正しいと考えている人間が日本人口の1/10、いや、1/100を超えるようならば、はっきり言ってそんじょそこらのエロ本よりよっっっっっっっっっぽど、それこそ無修正の同人誌なんかより5000兆倍有害指定図書として登録されるべき代物だ。
そう、あの一コマが「本当は嫌だけどアイツらと事を荒げたらアイツらと同レベルになる、その方がもっと嫌だ」という印象を植え付けてしまっているのだ!
「自分はアイツらより上でありたい」「アイツらより大人でいたい」という、理解の容易く、非の打ち所のない心情。しかしあの一コマが間違った「大人の対応」像を植え付けているのだから!!


……とまで言い切るのは流石に陰謀論が過ぎるにしても、あの一コマはなまじ有名なだけあって影響力は小さくないだろうし、似たようなことを語る教育者や、小説、エッセイ、漫画、映画などを手掛ける者たち、総括し言葉を作るならば「表現家」も、世代的に登場しつつあるのではないだろうか。勿論あの一コマが登場する以前から、そうした思想は存在していた可能性も高い。
したがってあの一コマが原因と言うことは不可能である。
しかしあの一コマが原因かはさておきあのような考え方が現実に存在する考えであることに違いはない。だがそれは加害者をつけあがらせる「スキ」でしかなく、被害者を更に被害者たら占める要因にしかならない。
その考えで実際のトラブルに対峙するのは、それは大人の対応でもなんでもない。口では嫌がりながらも、実際には無抵抗。
これでは黙認しているのと同じだ。

そう、ただの自殺だ。


そのトラブルに対して心から納得が行かず、不当だと、不快だと感じるならば。

そのトラブルと戦わなくてはならないのだ。

粛々と、無慈悲に、そして、徹底的に、戦わねばならない。

そのトラブルと、そしてその加害者と、なんらかの形で一度は戦わなければならないのだ。

戦法は問わない。

加害者をぶっ飛ばせるだけの筋力をつけてバレないように物理的に勝ったっていい。

警察や弁護士、裁判所など然るべき機関に頼り社会的に勝ったっていい。

それらが全部無理なら逃げ切って不戦勝でもいい。


同レベル? 上等じゃないか。戦いに勝てばレベルが上がる、それはゲームをやる「子供」ですら知っている常識だ。

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