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~の~性とかいうタイトルはそろそろやめようと思う

こんばんは。
いや、特にネタはないけど。とりあえず、タイトルの通り妙な記事タイトルにするのは止めようということである。

さて、今回も今回とてくすぐりについて少し語ろうと思う。
しかし今回は対象を変え、二次元から三次元に向けていくことにする。

まず、二次元くすぐりと三次元くすぐりについて、相違点や各個メリットを論じてみようかと思う。

二次元くすぐりにおいては、まず声の表現の有無としては「台詞のある・なし」で問われてくる。
勿論台詞がある方がシチュエーションの妄想も捗るし、作者のその絵に対する入れ込み度合いも高いと言えよう。

個人的に思うのが、台詞がなくてもこれは良い絵だと思うくすぐり画像は殆ど見かけない。何故か?
それは結局のところ、無理やり笑わされているかどうかに力点が置かれるからだと思う。例え全身に羽や指が這いまわり笑顔であったとしても、声の表現がないとどうも後述するリアリティに欠けるのである。絵の時点でリアリティも糞もないと思うかもしれないが、そこは雰囲気という奴で何か理屈で説明出来るようなものでもないと思う。

一方、三次元はどうか。
三次元はある意味二次元以上に声の表現の有無の差が露骨に出るだろう。というのも、三次元に声の表現があるかどうかって、要するに「画像」なのか「動画」なのかの二択だからである。
そして、たいていの場合三次元くすぐり「画像」となると、まぁ決して悪くはない画像もあるのだが、
三次元の最大のメリットを活かしきれていない以上は画像という場において最強の座を担う二次元くすぐり画像に敵うことはない。

では、その三次元最大のメリットとは何か?
それはずばり、動画でこそ現れるだろう。
擽られたときの躍動感ある動き、そして何より、無理やり笑わされることに起因する本能的・動物的な「声」であろう。

勿論二次元でも、アニメという手法を用いればコレを実現できないことはない。ないが、そのような作品は殆どない。くすぐりのシーン自体が見掛けられたとしても、それは所謂お遊び、「ソフト」なものだ。
ソフトでもいい! と言う方なら良いだろうが、私個人としてはハードな方がずっと好みなので、
私の中ではやはり二次元くすぐりが三次元くすぐりのフィールドに立つこともまた不可能なのである。

何より、声の出方が大分違う。私も一応くすぐりフェチの端くれとして、とあるくすぐりボイスノベルを購入したことがある。
シチュエーションは間違いなく満点だったし、素人ではなく声優がやっているのでそれなりに声は上手い。
上手いのだが、何かが違う。元の理性的な声質が、やはりどうしてもそこそこ残ってしまっているのだ。

一方で、三次のものはどうか?
確かにAVなどは基本的に演技じみているものが多い。
くすぐりでも適当に喘がせておけばいいか(笑)等と考えているのか、笑い声とは全く無縁な嬌声を上げるに終始する作品もチラホラ見掛ける。

ところが、くすぐりとは多少の個人差はあれど、基本的には同等のくすぐったい感覚を得られるモノである。つまり、性的快感を受けた時のような演技をする必要性がかなり薄いのである。
それ故、AVであっても明らかに本気で笑わせに掛かっている作品も少なからず存在はしている。特に海外のモノ(私は国内モノの方が好きだが)。
そしてそれは、決まって元の声とは違う……いや、声質とかそういう点では一致しているが、明らかにこう理性を失っているというか、野性的というか、極めて純粋な笑い声なのである。
我々の欲求を紡ぎ、性にまみれたスタジオの中で自らを演技のない自然な痴態として映し出させているのだ。
純粋に我々くすぐりフェチの願いを叶える、ただそれだけのために。
最初の方は結構普通に若者声だったのが、笑わせてみるとだらしなさげなオバサンみたいな声で大笑いするとか。そういうのもギャップがあってかなり良いと思う。

その為、リアリティという点においては動画三次>二次、という図式が完成せざるを得ない。

とはいえ、リアリティだけで語ることが出来ないのもまたくすぐりである。
リアリティを追い求めていくと、大抵の場合はある一線を越えることは出来ない。
流石にAVでもそこまでは出来ないのだろうが、ガチ失禁とかそんなレベルまで行くのはほぼ二次元だけであろう。

一応三次元でも作品によっては漏らすが、何というか妙に表現が暈かされていたり、漏らす場面に限って顔ばかり映しているとか、そういうことがとにかく多い。
いや、破顔を観るのも興奮はするが、漏らすときは折角なのでリアルタイムで股間を眺めたいのである。ついでに、漏らした直後の赤面も見られればなおよい。
出来れば成熟した体であることを認知できるよう、陰毛の間からシャアアア……という感じならばなおよい。
が、それを見られる可能性は結構低いのである。

一方で二次元ではどうか?
好きな構図を描けるので、目的に応じて腋ドアップ、足裏ドアップ、ヘソドアップ、顔ドアップ、股間ドアップ、全身画像と切り替えることは容易である。
そして、そこが三次元くすぐりと二次元くすぐりの最大の相違点の一つと言えよう。

三次元は上手いことリアルでセフレならぬ「ティフレ」を作り自分の視覚そのもので相手の痴態をじっくり見てやろうというならともかく、
そうでなければ監督の気まぐれが結局そのくすぐりの「場」における、全ての事象たりえてしまうのだ。
例えどれ程破顔しようと、暴れ狂おうと、汗を流そうと、涎を流そうと、漏らそうと、その瞬間瞬間が我々の目に、我々の欲望に忠実に映し出されるかどうかは全て監督の気まぐれなのである。

一方で二次元は違う。
確かに絵師の気まぐれもある。
あるが、3次元とは違い、人柱はAV程は必要ない。その時点でハードルは物凄く下がるし、無限の可能性が残っている。
例えば、自分とは別の絵師であってもリクエストすれば気前のいい方であればお好みの構図を描いてくださるやも知れない。
そうでなくても自分で描いてみる、SS化するなど、妄想の糸口は幾らでも広げられるのである。
AVでも出来るのではないかと思われるかもしれないが、AVは既にストーリーが完成していることが前提なので、なかなかそれ以上の域を出ないのだ。
そうした可能性を有しているか、いないか。これもまた、二次元くすぐりと三次元くすぐりの最大の相違点の一つであろう。

つまるところ、全く角が立たない意見で申し訳ないがどちらも違ってどちらも良いということ。

ただ、私個人としては今はどちらかというと三次元派である。コミケが終了した今、やはり絵の供給も少なくなっているので二次元の良質な新規くすぐり画像はそう沢山は生まれてこないだろう。
しかし三次元にハマったのは割とつい最近なので未視聴のモノも沢山あるし、恐らくその中には私にドストライクな超ハード展開のものもあるかもしれない。
それ故、今は三次を開拓しているのである。ただ悲しいかな、先述したとおりよさげなシチュエーションに限って洋物ばかりが見つかる。
和物で超ハードくすぐり、あるにはあるがなかなか新規作品は見つからないので、この三次開拓期間もそう長くはないかもしれない。

なんだろう。三次元とか二次元とか使っているとベクトルの問題を解いている気分である。

まどか☆マギカにおけるくすぐりの有用性

こんばんは。

明日、どこかの時間帯でワルプルギスの夜がやってくる、とのことらしい。
二学期に入り早くも疲れが出てきているように感じるので、可能ならばここで一回休講日を入れてもらってゆっくり休みたいところであるが……まぁ、余り期待はしないでおこう。こういう時に限って晴れ渡るのが世の中の常である。

さて、ワルプルギスの夜と言えば「魔法少女まどか☆マギカ」を思い起こす方が8割であろう。
次いで宗教的な意味での「ヴァルプルギスの夜」、そちらの方を思い浮かべるという方も居るだろう。
最も私は恐らくは無宗教、強いて言えば腋・くすぐり教なので途方もない歴史を持つ宗教には属していないので、
私が指しているのは紛れもなくまどマギの方である。
そもそもまどマギってなんだよ、と言う方はニコニコ動画あたりに少しお金を払うといい。多少画質は悪いがその場ですぐに観ることが出来る。

では、何故そんなまどマギをこうして話題に出したのか?
それはカテゴリが全てを物語っている。そう、擽りがいのありそうなキャラがメインの5人中3人も居るのだから。

まず、美樹さやか。

私たちの界隈に居る方にとっては、さやかと擽りのコンビもまたオーソドックスであろう。
見ても分かる通り、さやか=腋キャラという図式を一発で完成させてしまったのが魔法少女姿。
地味にまどマギメインキャラの中では二番目に巨乳であるが、正直私は胸にはそんなに興味がないし、
何より中学生の時点で巨乳ナンバー2と言われても正直高が知れるというものであろう。
しかしながら本編においては間違いなく最も正常に近い中学生キャラであり、それが故の未熟ながらも健康的なエロスが存在しているのは紛れもなく事実。
結構強気っぽい性格なので、そこもグッド。
残念ながらまどマギの中では不人気扱いのようだが、私はそうは思わない。むしろトップレベルに擽りたいので堂々の第一位である……と思われた。
が、上には上が居た。

佐倉杏子。

腋に加えてヘソまで持ってきた。なんという二段構え。
変身していない時はしていない時でヘソ丸出しだし、変身したらしたで今度は腋が出てくる。
正直、彼女は擽られるために生まれてきたのではないかと思わなくもないレベルである。

さやかよりも強気なので、しおらしくなった時はたまらなくかわいいハズ。是非くすぐって主導権を握りたいキャラの一人である。
ちなみにアニメの展開の都合上杏さや、さや杏なんていうカップリング反応も素晴らしいものがある。是非レズくすぐりで乱れ合う姿を見たい、というか二人とも乱れさせてみたい。

まあ、本編の中ではここまでである。
しかし、叛逆の物語編で大どんでん返しが起きた。そう、暁美ほむらである。

その人気ぶりや「ほ」と画像検索するだけでそこそこ画像が出てくる程であり、「ほむ」まで入れようものなら完全に画像検索がほむらで埋まるとかそんなレベルである。

さてこのほむら、実は本編ではそこまでくすぐりキャラになるという印象は……いや、私個人としては結構あるが、一般的に見れば薄いだろう。
私としてはあのようなクールなキャラは是非くすぐって破顔させたいものなのだが、
そうはいってもコスチューム的な意味ではまどマギでも一番戦士っぽくかっちりしているし、残念ながらそのような印象は薄いと言わざるを得ない。シャルロッテ結界に入れたら是非マミリボン拘束中のところでガリガリやりたいけど、ぶっちゃけ連想させるシーンは精々そこまでである。

が、彼女は叛逆の物語のラストで文字通り一肌脱いだ。
その結果、何と変身シーンと同時に一気に腋を御開帳するというとんでもない所業を成し遂げたのである。

更に言うと悪魔ほむらはコンセプトとして正しく女悪魔らしく、とてつもなく妖艶である。
はっきり言ってまどマギ随一の巨乳たるマミさんが脱いだところであそこまでは行かない。貧乳だとか巨乳だとか、そう言ったところを越えた次元に彼女の悪魔的エロスが存在している。
所々で見せる表情も最早中学生の域ではない妖艶さを誇っており、物凄く堕とし甲斐を感じるキャラなのである。
ただとても残念なのが、悪魔ほむらをくすぐり受けにした同人やSSは殆ど存在していないことである。一応SSでは一作品だけ確認した。最も、くすぐり描写がそのSSではサブであったにもかかわらず余りあるエロスが迸るあたり流石と言えよう。


なお、まどか及びマミは受けというよりはむしろ責めであろう。ああいうおっとり系のキャラが責めに転じるのはかなりギャップ萌えする。
特にまどかは是非悪魔へ叛逆して、ハードなくすぐりプレイを展開する薄い本が出てほしいものだ。丁度くすぐりに使えそうな羽根も生やしているのだから。

という訳で少しだけ語ろうと思う

まぁ、そんなに語ることもない。とりあえず物理とかもやらないといけないので、簡潔に語ろうと思う。

まず私が思うに「くすぐり」はなぜここまで私たちフェチを魅了し続けるのだろうか?


聞く話によると、ジャンルとしては相当前に成立していたのかもしれない。
日本でも吉原の遊女など体に傷を付けられないような輩が何かやらかした時には水攻めなども勿論あったのだろうが一方でくすぐり責めもあったのだという。触手の浮世絵を書く日本だ、もしかしたらくすぐりの浮世絵も存在していたのやもしれない。
海外でどうだったのかは不明だ。一応拷問の手法としては使われることもあったらしいが、その頻度・及び方法の資料は我々の知るところではない。

ただどうも性癖としては日本よりだいぶ認知されているらしく、動画サイトでそういう動画を探しても海外産が多い。
無論日本人に対し世界人口が圧倒的に多いせいというのもあるのだが、それでも一ジャンルとして確立しているところもあるそうな。
個人的好みは海外<日本なので少々残念である。

まぁ歴史的背景は余り見えてこないのでこのあたりにしておこう。
それでは結局何が燃えるのだろうかということであるが……

まず世の中の人類には当然男と女が存在している。それを考慮すると、少なくとも責め・受けをどちらがやるのかということで四通りの解釈がある。
当然ながら、ホモカップル及びレズカップルも考慮している。

次に、攻め手及び受け手の年齢である。
例えば人類の平均年齢を七十歳で固定した場合、個々の性癖を完全に度外視すればある年齢n歳のAさんに対し零~七十歳まで、つまり七十一通りの選択肢が存在していることになる。
次にAさんの年齢を0≦n≦70とすれば、結局年齢的なシチュエーションとしては七十一の二乗通り、即ち5041通りの選択肢が生まれるのである。

驚くべきことにこの時点で20164通りのシチュエーションが既に生まれているのである。

次にくすぐりにおいてやっておくべきシチュエーションは性格による場合分けだろう。
当然である。強気の人が弱気の人を責める「ありがち」なパターンが好きな人も当然いるし、
私の様に弱気の人が強気の人を思いっきりいく、というギャップ萌えパターンが好きな人もいるだろう。

性格は人によっても千差万別、日本人口だけでも一億通りが存在するので、厳密に考えれば一億の二乗で十の十六乗にまで至ってしまう。更に世界人口で言えば七十億の二乗なので……いや、数の問題ではないが、5の19乗位にはなる。

しかしながらそれでは途方もない数になってしまうので、とりあえず

強気→サバサバ、オラオラ、ウェーイ
弱気→オドオド、ビクビク、コソコソ
ふつう

の七パターンに分類してみる。すると先ほどと同じ観点で行けばとりあえず49通りある。
これを先ほどの二万通りに掛ければ一気に百万近いパターンが……

……と、数値で考えてみるとこのように膨大な数に膨れ上がってしまうし、これらの性格とかはぶっちゃけ他ジャンルでも当てはまるだろう。

それではいったい何が私たちを魅了するのか。
ここからは私見となる。


恐らくくすぐりとは、前に書いた通り常人にとっては子供や動物たちのじゃれ合いと言った風景を思い出すであろう単語である。
もしくすぐり、という単語でアダルティーな意味を推測した人が居たならば、恐らくその人は私と同業であろう。

つまるところ、くすぐりとは子供の遊びのようなものという固定概念が我々の深層心理のどこかには確かに存在しているのであるのだ。
勿論、我々のようなフェチが考える構図は子供の遊びとは確かにかけ離れている。私の大好きなシチュエーションで考えてみよう。

ただの子供たちもやるような遊びで、
妙齢の成人女性がシチュエーション次第では例え小さな子供やずっと年下の少年・少女相手であっても何も出来ず悶え笑い狂い、
その胸を情けなくブルンブルンと震わせ、体中からはかきたくない汗が沢山出てくる。
くすぐったさと快感は紙一重という話もあるので、あるいは背徳感から愛液もダラダラと流れて来るやもしれない。どちらにせよ、相当な羞恥プレイである。
更に極め付けとして、場合によっては恥も見聞もプライドもなく、自分よりずっと年下の少年・少女の見下すような目線を浴びながらも自分が成熟している証である陰毛の中に隠れたクレバスからあたかも赤ん坊のように尿をまき散らしてしまう。

このようなことが果たして「子供の遊び」として有り得るのだろうか?

ここで一般的な子供たちのやる遊びを想像してみよう。
鬼ごっこ。かくれんぼ。缶けり。ドッジボール。ゲーム。スマホ。

……確かにAVでありがちな「大人の」とか「夜の」とかそういう形容詞が付けば話は別だ。
大人の缶蹴りとでも題して、見つかった女が罰ゲームで缶を挿入するAVとかもありそうである。
あるいは缶を金に直せばドM君歓喜の作品になる。

が、我々が一般的に想起するこれらの遊びにそういう観念はない(はずである)。

ところがくすぐりは、そうした形容詞も無くしてそのような非日常的興奮を我々に伝えているのである。

そこでもう一つ例を上げよう。
かの有名な、テレビでもしょっちゅう放送される渋谷のスクランブル交差点。
あそこにある巨大電光スクリーンの中でサッカー中継がやっていても特に何も感じることはないだろう。
いや勿論そういうフェチの方も居るかもしれないので100%の断言は出来ないが、98.99%位は「ふーん」もしくは「頑張れ○○!」という心境になっていることは最早自明ですらあろう。

ところが、仮にバラエティ番組の罰ゲームの一環などでくすぐりの動画が放映されていたらどうか。
勿論、「ふーん」という感想や「あーあ、こいつらまたやってらぁ」みたいな感想を抱く方も少なくはないだろう。あるいはバラエティ番組なので面白がって見ている人もいるかもしれない。

しかしながら、その瞬間その場に居る少なからず存在しているであろうくすぐりフェチの方は、
少なくとも思いっきりパンツの下にテントを張るか、もしくはクロッチを愛液で濡らすことになるのである。勿論賢者モードであったり仕事で忙しい中であればその限りでもないと言えばないが。
とはいえこのようなことが起こるのは、はっきり言って「子供の遊び」という一般的見識とはかなりかけ離れているのではないだろうか。

ところが、これ程にも拘らず我々の認識として少なからず「子供の遊び」という認識は抜けていない。これもまた事実である。

ともすれば、我々は「少なくともくすぐられる側は子供の遊びと思っているのだが、その子供の遊びに思い切り恥も見聞も忘れ笑い悶えまくらされている」という構図にも興奮を覚える材料の一つを見出しているのではないだろうか。


そろそろ電車が自宅の最寄り駅に到着するので纏めておこう。

要するにくすぐりとはギャップの塊なのである。それ故、特にギャップ萌えが好物な人間にとっては燃えるものがあるのだ。

無論、否定する意見もあるだろうが今のところの私の結論である。
もう少し時間があれば更に多角的に考察しつつ自論の矛盾点も解決していきたいが、到着したのでこの辺にしておく。
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